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【廃墟】 今昔物語 2
【神奈川県】グランミューゼ湘南(建築途中系廃墟)

バブルの爪跡

グランミューゼ湘南

バブル景気
1980年代後半、日本にはバブル景気という時代があった。
資産価格の上昇と好景気、及びそれに付随して起こった社会現象である。
実体経済から乖離(かいり)して資産価格が一時的に大幅に高騰し、その後急速に資産価格の下落が起こる様子が、中身のない泡がふくれてはじける様子に似て見えることから、「バブル景気」、「バブル経済」、また、その景気後退期を「バブル崩壊」などと呼称する。

大都市等の優良な土地の高騰にとどまらず、収益の見込めない遠隔地の土地もリゾート開発を名目に相当の値段で取引された。こうして得た土地を担保に、目に見えない現金の実態、数字だけの巨額の融資が行われ取引された。
土地の有効活用による収益ではなく、将来地価が上昇することで得られるだろうと見込まれる値上がり益を目的とすることが多かった。
土地を担保として融資を行うに際しては、通常は評価額の70%を目安に融資を行うが、将来の土地の値上がりを見越して過大に貸し付けることも珍しくなかった。破綻した北海道拓殖銀行では120%を融資した事例もある。単一の物件に複数の担保をつけることも行われた。
背景には、金融機関の貸出競争が激化する中、潤沢な資金をとにかく運用する、貸付に回す、という金融機関の姿勢もあった。
この融資の一部は後の地価下落(担保価値が低下)によって不良債権となった。

1987年リゾート法が制定され、都市から離れた地域においても、大企業を誘致してリゾート施設を開発する動きが活発となった。それまで見向きもされなかった土地が相当な価格で取引されるなど、土地価格の上昇に拍車をかけた。

1990年3月に大蔵省銀行局長土田正顕から通達された「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日銀による金融引き締めは完全に後手に回ったため急激なものとなり、信用収縮が一気に進んだ。信用崩壊のさなかにおいても金融引き締めは続けられ、経済状況を極度に悪化させた。前年に導入された消費税も経済実態に鑑みると導入が遅すぎたと言え、結果的に景気に悪影響を及ぼした遠因と考えられている。

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1980年代後半
課長 「部長! 地価や株価の上昇が大幅かつ継続的なものとなっています! 国民全体にさらなる値上がり期待が高まっています!

 資産価値がすごく上がっていってます。今の内に土地を買って建物も建てちゃいましょう!」
部長 「よし! 銀行も乗り気だ。早速準備したまえ」

こうしてバブル景気が始まった。
買った土地を担保に次々に土地建物を購入。
資産価値物件を増やしていった。

部長 「資産価値物件が増えると銀行もまたお金貸してくれる。よし、次の土地も買っちゃえ!」
係長 「はい!」

こうして価格上昇期待が、株式投機による財テクブームや地上げなどによる過度な土地投機につながり、自己増殖的に資産価格を上昇させた。資産残高の著しい増加は、消費面では資産効果により耐久消費財を中心に消費額を増加させ、企業にとっては資産の担保能力の増大により新たな事業展開や設備投資のための資金調達を容易にした。

しかし、1990年代初めの頃

係長 「部長、なんだか銀行が貸し渋りを始めました」
部長 「なんだって! なぜだ?」
係長 「なんでも大蔵省が土地関連融資の抑制についてとかいう総量規制を通達した模様です」
部長 「総量規制? なにそれおいしいの?」
係長 「不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑えることです」
部長 「なんでそんなことすんの? 景気いいんだからこのままでいいじゃん」
係長 「なんでも行き過ぎた不動産価格の高騰を沈静化させることが目的みたいですよ」
部長 「ふぅ〜ん」
係長 「しかし予想をはるかに超えた急激な景気後退の打撃が心配されます!」
部長 「ん? なんで?」
係長 「消費税も導入され、株価・地価は急落します。そうすると消費者の買い控えがおき、そしてまた株価、地価は急落していく悪循環が始まるからです!」
部長 「そっか、じゃあ早めにどっかに売っちゃおう! 元はとれないけど仕方ないね」
係長 「しかし… 既に買い手が見つかりません」
部長 「オワタ\(^o^)/」
係長 「この部長、もう嫌…」

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景気過熱によるインフレ発生を未然に防ぐため、公定歩合が89年5月から5回にわたって引き上げられた。また、税制の見直しや土地関連融資の総量規制等が行われ、これらの政策により、株価・地価は急落し、バブルの崩壊が始まった。
 バブルの崩壊は、逆資産効果により消費低迷を招き、倒産を増加させたほか、90年代全般にわたる長期の景気低迷をもたらすこととなった。

こうして、バブルが崩壊し全国で次々とどうすることもできない土地建物が増えていった。
そして、各リゾート地など経営に行き詰ったホテルや、バブル崩壊前に着手され、建築途中でバブル崩壊が始まった建物が各地に存在するようになり、廃墟全盛時代がはじまった。

グランミューゼ湘南

グランミューゼ湘南

グランミューゼ湘南


今回のこの物件も、神奈川では心霊スポットとして有名になった「グランミューゼ湘南」
湘南というか横須賀。
20年以上に渡り工事用フェンスに覆われ、国道沿いのこの物件は多くの人が目にしたマンション建築途中廃墟。
なんでも建築途中で事故が相次ぎ、そして子供の霊が現れる。怨念が強すぎる! ここはマジでヤヴァイ!という話だった。
しかし本来は、バブル崩壊の波に直撃し、大打撃を受けたバブルの爪跡だった。

その異様を放ったこの物件は2006年8月に解体された。

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【廃墟】 今昔物語
阪東橋ホテル

阪東橋


以前、廃墟半島と呼ばれた地域があった。
静岡県伊豆エリア。
このエリアはどこに行っても廃墟があった。

高度経済成長期、人々は生活をするだけ以上の事に所得を向ける事ができるようになった。
そして新しい職業としてのレジャー産業の登場、それに伴う宿泊施設の乱立、経済成長の結果、ビジネスも多様化していった。

明治以前は伊豆国として東海道の1国を構成していたこの伊豆半島は、各地に温泉が湧き出し日本で有数の温泉観光地になった。
しかしそこに至るまでには、伊豆半島東側で開発の縄張り争いが行なわれていた。
戦後になって大手資本による大規模な開発合戦も行われ、代表的なのは東急と西武の開発競争で、東急は1961年に伊豆急行線を下田まで開通させ、西武は伊豆箱根鉄道駿豆線を軸に、陣取り・誘致合戦を繰り広げた。特に伊豆急行開通後の東伊豆の観光地・別荘地化はめざましいものがあった。この東京急行電鉄(東急)系列の伊豆急行と、西武鉄道(西武)系列の伊豆箱根鉄道が伊豆半島東海岸で繰り広げた縄張り争いを通称「伊豆戦争」と呼ぶ。

しかし近年、伊豆の開発は衰退が激しく、各企業は伊豆からの撤退を決め込む。
今では以前の様な賑わいはなくなりつつあり、当時賑わった夢の跡たけが残されるようになった。

今回ご紹介する廃墟は、そんな時代に建てられたホテル「阪東橋ホテル」

阪東橋

伊豆最怖とうたわれる「稲取隔離病棟」を逸する異様な佇まいは通称「黒いホテル」とも呼ばれた。

伊豆山山腹に建つ8階建の建物は、この半島廃墟の中で最大規模を誇った。

廃業後、その建物は長年放置され植物は自由に伸び、野性の動物が出入りできる自然に化していった。

阪東橋

阪東橋

阪東橋

残留物はほとんどなかったが、ここを見ずして廃墟は語れないといわんばかりの荒廃っぷりは見事であった。

しかし、この阪東橋ホテルも所謂「廃墟ブーム」の直前に姿を消してしまった。

阪東橋

消えていく廃墟も多く、一度解体されてしまえばもう二度と見る事はできない。
だからこそ、こうして記録として残っているのも自己満足とは言えいいものだと思う。
栄えた当時を残す事はできないまでも、廃墟として当時ここに何があったかを知る一つの手段として「廃墟写真」が存在する意味も出てくるのだと思う。

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廃墟の美学 特別編
廃墟の最高峰、紅葉園
2003年から現在までの流れをまとめた動画(スライドショー)です。
よかったら見てください~



http://www.nicovideo.jp/watch/nm14904135

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ワンダーミュージアム
ワンダーミュージアム

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ワンダーミュージアム
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トリックアート

上の窓、天使の画、全てがこの建物の天井です。

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